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Isis in Paris: Pulling Back the Veils of Isis in Today's Paris

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Isis in Paris: Pulling Back the Veils of Isis in Today's Paris

 

現代のパリでイシスの神秘を解き明かす

 

レイリーン・アボット

 

 

 

 パリは女神イシスの街。Par - Isis、フランス語で「イシスを通して、またはイシスによって」という意味です。セーヌ川に浮かぶシテ島にはノートルダム寺院が建っています。この島はパリの街の始まりでした。舟の形をしたこの島をイシスの舟と呼ぶ人もいます。

 

 私は今ノートルダム大聖堂のゼロ地点に立っています。そして、ゼロ地点には大きな釘の形をした真鍮製の飾りが石畳に埋め込まれています。ここは、フランスの町や村の全てがここから測量される地理上のセンターなのです。フランスの真ん中に立って、自分を取り巻く現在のパリの街だけでなく、シテ島に眠る幾層もの太古の歴史を見つめてみます。ノートルダムの地下聖堂には2世紀ローマ帝国時代の建築物の壁の一部が今も残っています。現在のフランスはローマ帝国の支配下にあり、いまなおその余韻は感じられます。イシス神話はエジプトに由来しますが、イシスはローマ帝国の支配下で広く崇拝されていました。そしてイシスを奉るためにたくさんの神殿が建てられました。

 

 現代のパリに時を戻しましょう。私はいまノートルダムの前に立ち、かの有名なバラ窓を眺め、イシスのマントラを静かに唱えてみました。「イジス・ラ・デエス」、フランス語で「女神イシス」と。イシスの舟、シテ島での私の聖なる旅はこうして始まりました。

 

 ノートルダムの正面の壁に施された28のユダヤの王の彫刻を見上げました。しかし、面白いこと聖書にはユダヤの王は19人しか登場しません。 28人の王は月の女神の28日周期の象徴です。バラ窓は月の女神の子宮を象徴しています。石の壁に刻まれたレリーフは神秘が綴られた生きた書物です。

 

 ノートルダムの入口を通り抜けるとちょうどそこには竜の上に立つ司教の姿が彫刻されています。じっくり見てみると、竜は司教の杖に絡み付いています。竜は下のチャクラから湧き起こって上昇していくクンダリーニのスピリチュアルパワーを示しています。

 

 大聖堂の中に入り、私は観光客の群れの中を進みました。先日亡くなった友人の母親のために蝋燭に火を灯します。椅子に腰掛け、静かな瞑想の中で旅立った魂のために祈りを捧げます。私の隣に座っているのは美しい黒人の女性でした。彼女は深い静寂に包まれています。わたし達はきらめくろうそくの炎の前で静かに座っていました。聖母マリアとイエスの立像は「ノートルダム・ドゥ・パリ」、「私たちのパリの貴婦人」という名で知られており、私たち二人はその聖母マリアとその子イエスの像の前で祈りを捧げています。

 

 立ち上がってその場を去ろうとした時、黒人女性と目が合いました。魂と魂の出会いです。私の前に佇むこの女性の存在からはブラック・マドンナ(黒人姿の聖母マリア)が感じられました。その目には魂がこもっています。目を深く見つめられると、感傷的な悲しみを感じます。私はオープンになってそれを受け入れました。ひとときの魂と魂の触れ合いでした。そして、それから私は大聖堂の中を歩き出しました。

 

 私はマグダラのマリアのチャペルへと歩を進めます。このチャペルは厚手の黒いカーテンで覆われているため、壁に描かれたマグダラのマリアを見るにはあっちにこっちに頭を動かさなくてはなりません。マグダラのマリアがキリストの足を洗っているところが描写されています。その上部に金貨の入った袋を腰からぶら下げたユダが立っています。この絵は、マグダラのマリアのちょうど後ろに金貨の入った袋が描かれているという非常に興味深いものです。昔は女王の価値を金貨によって計っていました。代々女性が権力を握っていたことが男性を王座へと駆り立てたのです。

 

 今私が目にしているのは異端派のシンボルなのでしょうか。それとも、マグダラのマリアには金貨の価値があるというでしょうか。ユダはキリストを裏切り、教会はマグダラのマリアを裏切ました。

 

 私は出口へと歩みを進めます。目の前の天井に目を見張ります。幾つものアーチ型の天井が織り成す聖なる空間を見ていると、まるで巨大な産道を通り抜けているかのような気持ちがしてきます。ドアをくぐり抜け、教会の左側の石の壁に施された浮き彫りを見つめます。三つのレリーフが隣り合わせに並んでいます。一つはアラバスター製の壷を持ったマグダラのマリアです。あとの二つはザリガニ、そしていけにえの子羊を抱くキリストです。

 

 ノートルダム寺院で見たシンボルの中にはマルセイユタロットで見たことがある物もあります。マルセイユタロットは古いタロットで、そのカードにはマグダラのマリアの秘密が隠されていると言われています。1307年テンプル騎士団の解散後の南フランスに姿を現しました。テンプル騎士団は神秘の建築家として数々の中世のカテドラルの建築を担いました。また女性を神聖視しそれを中世的装飾に象徴的に表現しました。テンプル騎士団ではマグダラのマリアはイエス・キリストの妻であり、二人の間には娘が一人いたとしています。そのことで教会とフィリップ王から異端派とみなされました。フィリップ王は当時金銭的な問題を抱えていました。当時銀行を支配していたのはテンプル騎士団でした。テンプル騎士団に異端の罪を負わせれば、教会と国家で彼らの財産を全て分け合うことができたのです。テンプル騎士団の中には追手を逃れてイタリアやピレネー山脈、そしてスコットランドに逃げた者もありました。タロットはイタリアで生まれ、マルセイユに伝わりました。当時の古いタロットには異端派の暗号が多く隠されていると私は見ています。私にはこのタロットの月のカードはテンプル騎士団の信条を表しているように思われます。

 

 時を今に戻しましょう。今私たちが目にしているのはカテドラルの西側です。この部分は月の女神を象徴しています。マルセイユタロットの月のカードには水の底に隠れるザリガニが描かれています。ザリガニは水辺にいる猛犬のせいで水から出ることができません。カードの上部には太陽を覆い隠す月が描かれています。背景には二つの塔がそびえ立っています。初めてこのカードを見た時私はカードに秘められた異端派の暗号に気付きました。

 

 ザリガニは蟹の原形です。蟹は星座では蟹座に当たります。蟹座は神々の母である月の女神の象徴です。ザリガニは水の底に隠れ、外の世界へ出るのを怖れています。ザリガニの形は男性のペニスにも見えます。つまりザリガニは男性と女性の性の統合を象徴しているというわけです。

 

 月食は Hieros Gomes、神々の結婚、を表します。神々の結婚とは聖なる女王と聖なる王の婚姻です。タロットカードに描かれた二つの塔にも深い意味があります。「マグダラ」という名の意味は「塔」です。カードには塔が二つ描かれているではありませんか。二匹の犬はカトリック教会と当時の政治権力の象徴です。

 

 神々の母、聖なる女王はマグダラのマリアであり、神々の結婚とはマグダラのマリアとキリストの結婚のことを示しています。しかしこの二人の結婚はカトリック教会とによって公にされ得なかったのです

 

 二つの塔はマグダラのマリアと彼女の娘を表していると私は思います。マグダラのマリアの娘はメロヴィング王家の血筋の始まりの人物と言われています。

 

 もう一つのレリーフはいけにえの子羊を抱くキリストです。マグダラのマリアが教会の教義が作られる過程で犠牲になったというのは本当のことなのでしょうか。いったいどれだけの人々が真実を隠すために犠牲となったのでしょうか。月のカードは伝統的に不実または秘密を表します。ノートルダム寺院に秘められたメッセージを読み解くのは実に興味深いことです。

 

 私はシテ島を歩き始めます。ステップに合わせて「イジス・ラ・デエス」、女神イシスのためのマントラを静かに繰り返します。歩みを進めてゆくと、イシスの舟の舵にあたる部分へとやって来ました。偉大なるセーヌ川に挟まれたシテ島の先端で私は庭園に足を踏み入れます。ここには戦争で犠牲となったパリのユダヤ人のための石碑があります。この場所はナチスの強制収容所で亡くなったフランス系ユダヤ人20万人の追悼の場所です。追悼碑は地下にあって、亡くなったすべての人の名が記されています。この悲劇の追悼碑がイシスの舟の舵の部分に位置しているということは注目に値するのではないでしょうか。この場所に花を手向け、静かに祈りの言葉を唱えながら私は歩き続けました。

 

 私の聖なる歩みは島の反対側、イシスの舟の後方部へと私を運びました。ヴェール・ギャラント広場、アンリ4世にちなんで名付けられた二つ目の公園にたどり着きました。テンプル騎士団の統率者、ジャック・ドゥ・モレ-は1314年にここで火炙りの刑に処せられました。マントラを静かに唱えながら、無惨にも命を落とした人々のために花を手向けます。

 

 歩いてゆくと、サント=チャペルの建つイシスの舟の中央部分へたどり着きます。この小さな礼拝堂は後に列聖されて聖王となったルイ9世が聖遺物を収める目的で建てたものでです。1239年にはイバラの冠と聖槍の一部がこの礼拝堂に展示されていました。これらの聖遺物はもはやこの礼拝堂には存在していません。残されているのは宝石のような美しさを放つ礼拝堂の古い建物。1階部分は濃紺の壁一面に幾千もの黄金色のユリの花が描かれています。ユリの花はフランス王家の紋章であったが、その隠された意味においてはマグダラのマリアの子宮を象徴しています。

 

 私は狭い階段を上って2階に上がります。そこにはヨーロッパ中で最も壮麗なステンドグラスがあります。幾つもの小さな窓に聖書のストーリーが描かれています。それは色彩と光の織り成す生きた聖書です。

 

 女神イシスのマントラを静かに唱えながら私は礼拝堂の中央の通路を進みます。礼拝堂の両側とも観光客でいっぱいでした。足元を見ると私は地面に埋め込まれた大きなユリの花の上に立っています。ゆっくりと祭壇の方に歩いてゆくと私はまったく別の時空へ移行しました。私は青いビロードのドレスに身を包んでいます。歩くと長いドレスの裾が床をなびいています。私は自分がまるで王家の人間で、この礼拝堂に聖遺物が置かれていた時のことを知っているような気がしました。それは瞬間的な知性のひらめきのうちに起こり、一瞬にして私は現在に引き戻されました。そしてまたイシスのマントラを静かに繰り返します。

 

 こうして私はイシスの舟を一周しました。一人静かに自分が見てきたことに思いを巡らせます。それから一緒に昼食を食べに行く約束をしているアンドレアスとの待ち合わせ場所、サンミッシェルの噴水に向かいました。

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