シャスタ山はこの地球上に存在する聖地の一つに数えられる場所です。数年前、私は山の上でグリーンビュートの岩が形作るシンボルに見入っていた時に、この山の織り成す模様が地球の歴史を記した生きた書物だということに気が付きました。世界の様々な伝統文化の中で崇められてきた神や女神の姿がこの山の岩の表面に現れているように私には見えたのです。その後しばらくしてからこの経験を一人のチベット仏教僧に話す機会がありました。彼はヒマラヤの自然の中にも私が見たような自然の生きた書物があるのだと私に言いました。
シャスタ山のこのエリアだけに見ることのできる岩の形は実に多様です。ここのビュートにはリンガ(ヒンドゥー教の男根像)とヨーニ(ヒンドゥー教の女陰像)もあります。ほかにもピラミッド、スフィンクス、それにインドや日本の神々の姿を見つけ出すことができます。シャスタ山とその周囲の山々の峰や岩の作り出す風景は、まるで何頭もの竜がいるかのように見えます。竜のエネルギーには様々な象徴的な意味があります。竜はレイ=ラインの象徴であり、また母なる大地のクンダリーニの象徴でもあるのです。
聖地と呼ばれる場所には私たちの成長を促す素晴らしい力があるということを私はみなさんにお伝えしたいのです。1人の日本人女性がヒーリングを受けるために私を訪ねてやって来ました。シャスタ山にある神聖な場所を案内してもらえないかというので、私は喜んで引き受けました。
サクラメント川の川沿いに私が子供の時から知っている場所があり、私は8歳の頃ここで泳ぎの練習をしていました。また、子供の頃毎年夏に父と川遊びをしたのもこの場所です。私は子供の頃からこの場所に慣れ親しんできましたが、この場所の秘密が私に明かされるようになったのは、ここ5年ほどのことなのです。全てのものには完璧なタイミングがあるのです。
全てはヨーニの形をした大きな岩を見つけたことから始まりました。ある時、私はこの巨大なヴィーナスの岩の上で日向ぼっこをしていました。しばらくすると、生殖器のあたりにヒーリングが起こっているのに気が付きました。他の女性たちと試した時にも同じようにヒーリングが起こりました。
この辺りは川伝いにたくさんの竜の姿が現れます。ある日の午後、私は友人のオリヴィエと8頭の竜を見つけることができました。数年前には下流でリンガムの形をした岩も見つけました。自然の中に現れる男性や女性の生殖器を象徴するこのような造形は、自然の豊饒の表れです。こういう場所ではたいてい、植物や木々が豊かに生い茂っています。こういう場所は、まさしく自然王国の住人である神や女神のパワースポットなのです。
私がこの場所の秘密を完全に理解出来たのはつい最近のことです。ある時、私は1人の日本人女性と川辺の小道を下流に向かって歩いていたました。この女性はパートナーと神聖な関係を築く準備をするために私を訪ねていたのです。
その時はなぜか私はいつもとは別の場所に車を止めました。私たちは2人で小道を下って小川が大きな流れに合流する所に導かれました。2つの流れが交わる所はパワースポットなのです。そのことを証明するかのように、岩の中に竜の姿が幾つも現れました。私は指差してその女性に竜の姿を教えました。そこに見える竜は竜というよりは蛇に近い姿でした。1頭の竜はサクラメント川の主流に注ぎ込む小さな小川に沿ってまっすぐ伸びており、もう1頭は小川の流れの中にいました。苔に覆われたその体の上をさらさらと水が流れていました。
私たちはまた歩き始め、そして私は立ち止ました。私は人1人が横になれるほどの大きなハート型をした岩を見つけました。私が日本人の女性に「ここでお祈りをしましょうか」と提案すると、「そうしましょう」という返事が返ってきました。私は彼女を岩の方へ案内して「さあ、ここでパートナーと神聖な関係が築けるようにお祈りしましょう」と言いました。私たち2人はひとりずつその巨大なハート型の岩の上で祈ました。数千年の時をかけて川の流れに洗われて滑らかに丸みを帯びたハート型になったこの岩は私たち2人の祭壇になったのです。
私たちは川の流れに沿って歩いて行って別の小川が注ぎ込んでいる所にやってきました。そこは森と湿った土の匂いのする空気と、苔の質感と自然の豊饒に満ちていました。私たちは中が空洞になっている巨大な古い切り株にたどり着きました。大抵の人は何の変哲もないただの切り株だと思って、特に関心を持つこともなくここを通り過ぎてしまうかもしれません。しかし、これはただの切り株ではないのです。この切り株はよく観察すると女神の姿が浮かび上がってくるのです。私はこの女神をママ・アース(大地のお母さん)と呼んでいます。木目と苔の織り成す形状に女神の顔が浮かび上がるのです。この切り株は長い年月を経て中が空洞化し、そして切り株の内側には新しく生まれた木の芽が育っていて、まさに天然のプランターです。
この日、私はママ・アースを別の角度から見ることになりました。もしかすると切り株に降り注ぐ光の具合がいつもと異質のものだったせいかもしれません。はじめ私たちには大地の女神の姿は見えませんでした。しかし次の瞬間、なんと私たちの前に姿を現したのは女神イシスの顔だったのです。イシスはエジプト風のヘアスタイルで、羽の付いた髪飾りをしていました。この時初めて全てが明らかになったのです。私は驚いきました。古い切り株と、その中に育つ木の赤ん坊は死と再生のシンボルだったのです。
イシスの姿が現れる巨大な古い切り株は巨大なヨーニ・ストーンの近くにありました。これ以上の完璧さはありえません。イシスは神聖なセックスのマジックをつかさどる女神。そのイシスが巨大なヨーニ・ストーンのすぐ側に居を構えるのはごく当然のことだと頷きました。
私たちはイシスに祈りを捧げてから水浴びの儀式をしに川のほとりへ向かいました。
私たちは2人で川に入りました。夏の暑さで溶け出した雪解け水で川の水は凍るように冷たかったのですが、とてつもなく大きいヨーニ・ストーンは夏の太陽を浴びて焼けるように熱くなっていました。その石の上で、川の水ですっかり冷えきった体を横たえるのはいいようもない心地よさでした。太古の昔の豊かさを象徴するこの石の表面は、自然の営みの中で徐々に削られ、今やすっかり丸みを帯びて滑らかです。この石の上にいると、冷たく冷えた肌がみるみる体温を取り戻していくのが感じられます。この石の真ん中は大地の女神の神聖な生殖器の象徴です。神秘的な理由からこの石は灰色をしていますが、女神の聖なるゲートだけが赤い色をしています。赤い色は大地の女神の血液の色かもしれません。そして、この石は時を超えていったいどれだけの満月の光を取り込んできたのでしょうか?いったいどれだけの焼け焦げるような太陽の熱を浴びてきたのでしょうか? 夏の間は午後になって日陰に入ってもなおこの石はまるでスイッチを切っても熱がさめないオーブンのように燃え続けるのです。この石には女性の不思議さと太古の思い出が秘められています。この石の上で心から祈る女性は自らの女性らしさの癒しに通じるドアを開けることができるのです。このような石の上で行われる祈りに神や女神は応えてくれるのです。
さらに同じ川岸に溶岩でできた2頭の大きな竜の姿があります。2頭の竜の姿は、まるで川の流れに飛び込もうとしているように見えます。何万年も前の火山の噴火で流れ出た溶岩がこの川の冷たい水に触れて竜の形に固まったのでしょうか。
私たちはその場にお供えをしてから下流のリンガム・ストーンを目指して長い道のりを歩き始めました。水のせせらぎや時折ちょろちょろと私たちの前を横切る小さな小川の流れを楽しみながら私たちは歩いていきました。森にはシダ植物や春の野の花や大きなモミの木があふれていました。森の空気にはシダーウッドの香りが満ちていました。
リンガム・ストーンは夏の間にだけその姿を現します。冬の雨がカリフォルニア州を南下するこの川の水位を上げると、この石は水の下に姿を消してしまいます。しかし、夏の間は水位が下がるので、自然の中に秘められたメッセージに注意深く目を向けさえすれば、こうして自然の神の栄光の証であり、ペニスの形をしたリンガム・ストーンが見えるのです。
私は川の中へ入って行きました。リンガム・ストーンのすぐ横に二つの小石が並んでいます。この小石はまるで自然の神の睾丸のようです。私はその二つの石を踏み台にしてこの石の王座によじ登りました。川の流れの真ん中に座って女神のような気分を味わいました。私の内にイシスの存在を感じます。
私たちが歩いてきた道にはハート・ストーン、ヨーニ・ストーン、そして今いるリンガム・ストーンがあるということに私はふと気が付きました。これら三つの聖なる石が一直線に並ぶこの道は真に神聖な性のための道だったのです。この道にはイシスの性の神秘が秘められています。私は祈りを捧げてからこの神秘を私に明かしてくれたことに感謝して神と女神にお礼を言いました。私は川岸に戻りました。今度は美しいアジアの女性が、リンガム・ストーンの秘密の力を体験する番です。私は川岸に立って静かに彼女を見守りました。帰り道、私たちは2人ともお互いに言葉を交わすことなくそこでの体験の余韻をかみしめながら駐車場まで歩きました。
「Crisis
(危機、悲劇)」という言葉の語源は「Isis
(イシス)」にあると別の所でお話したのを覚えている方もいらっしゃるかもしれません。サクラメント川は19世紀の初めに大規模な環境的危機を経験しました。貨物列車の脱線事故で除草剤をいっぱいに積んだ貨車がサクラメント川に転落してしまったのです。植物、動物、魚といったあらゆる生き物がこの大惨事で生命を失いました。しかし、そのサクラメント川も今は命を吹き返しています。このように甦ることができたのも、イシスの力によるものだと私は思っています。